神奈川の基地を知るピースリングツアー【新・横浜/横須賀コース】

神奈川の基地を知るピースリングツアー【新・横浜/横須賀コース】(共催:横浜北生活クラブ環境平和委員会×神奈川ネットワーク運動・青葉)に参加し、和枝福祉会 資料館(緑区北八朔町)、横浜ノース・ドック、小柴貯油施設(返還跡地)、米横須賀海軍施設・自衛隊施設を巡りました。

おむすび丸へ乗船(横須賀)

横須賀では、ヨット「おむすび丸」に乗船し海上から視察しました。レクチャーくださった非核市民宣言運動ヨコスカ、ヨコスカ平和船団の方々は、1973年米空母ミッドウェイが横須賀を母港化した時から、合法的に海上からの監視と抗議活動を継続されています。世界情勢の変化の中、新しい桟橋の建設、去年弾薬庫が増設など、継続的に監視することで新たな気づきもありますが、「米軍、国から十分な情報提供はされない」。

2基の原子炉をもつロナルド・レーガンも間近に見ました。波で絶えず炉心が振動衝撃にさらされ、海難事故、地震や津波、ミサイルや魚雷からの攻撃で事故を起こす可能性は地上の原発よりも高いのではないか。放射能を帯びた機材、廃棄物、放射性物質の洗浄水はどこへ?さまざまな疑問がよぎります。近くには住宅地、中学校も。横須賀港から30km圏内では、横浜市の殆どはすっぽり入ってしまいます。基地があることは、たくさんの危険と隣り合わせで、これからもそれは続くということ。

原子力空母 ロナルド・レーガン

 

「原子力空母が横須賀にあることを市民はどう受け止めていますか?」の質問に、「多くの市民は疑問を持たず、日常の景色になってしまっている」と。50年前、横須賀基地は縮小予定であったのに、「事前協議」の回避と、「核密約」で海外母港になり、基地を恒久化させてしまっていること。湾岸戦争、イラク戦争は横須賀母港艦船の先制攻撃で始まったこと。知らないこと、知ろうとしないことは、戦争にいつのまにか巻き込まれ、加担することにつながっています。戦争は遠い他の国のことではなく、身近にあることを一緒に学び、変えていく活動を広げたい。

 

和枝福祉会 資料館

忘れてはならない、基地があることで起こってしまった1977年9月27日米軍機の墜落事故。燃料満載の状態でエンジン火災を起こし、9人の死傷者を出し、周辺家屋も焼く大惨事となりました。和枝福祉会 資料館の見学では、火傷で事故翌日に亡くなられた2人のお子さん、事故から4年4ヶ月後に亡くなられた和枝さんの家族写真、和枝さんが家族に向けた筆談、新聞の切り抜きなど見させていただきました。日米地位協定のため、事故を起こした2人の米兵は罪に問われず、事故の原因究明、経緯の説明もされませんでした。1973年から1977年の事故までに、ミッドウェイ艦載機は9件の墜落と1件の衝突事故を起こしています。そして、1990年までの17年間で20件以上の事故が起きていることを考えると、私たちの暮らしは本当に安全であると言えるのか。和枝さん直筆の文字からは、悔しさや怒り、悲しみ、力強さや懸命に生きようとする希望、たくさんの感情が伝わってきました。今回は時間に限りがあり、短い滞在になりましたがまた訪れたい場所です。誰の身にも起こりうることであり、気づいて考える人を増やすためにも学びの機会をつくっていきたい。