忘れない3.11 〜 福島県浜通りスタディーツアー 〜
3月1日、2日にWE21ジャパン青葉主催の福島スタディーツアーに参加しました。ガイドは、伊藤まりさん(WE 21ジャパン青葉理事)。伊藤さんは浪江町で震災に遭い、原発事故のため避難所を7ヶ所も転々とし青葉区に来られました。福島では、認定NPO法人いわき放射能市民測定室たらちね 理事長鈴木薫さん、おれたちの伝承館のみなさんと中筋純 さん、希望の牧場・吉沢正己 さん、OCAFE 岡洋子さん、伊藤まりさんの夫さん、出会った方々に温かく迎えていただきました。原発事故さえなければ、自然豊かな歴史の深い町で、みなさんの日常が続いていたのだな、と14年間の時間の重みを感じます。
福島第一原子力発電所、中間貯蔵施設をバスから見ました。その直後、バスは大熊町の 野球場前(総合スポーツセンター)を通過しました。伊藤さんが「子どもが野球をしていたので、土日はここに来ていました、まだ線量が高く入ることができません」と。浪江町も80%が帰宅困難区域のままです。2017年に一部の地域で避難指示解除されましたが、原発事故前の人口の21,434人の1/10の2000人になっています。現在暮らす人も、「たけのこや山菜、きのこからも高濃度の放射性物質が出るし、川で鮎など釣っても食べることもできない」。
住む場所が奪われ、生業となる生活基盤が失われ、家族、コミュニティが分断されたまま14年が経とうとしています。福島の災害関連死は2,348人(2024年12月)。直接死1,831人より多く、他県より突出して多い状況です。日常を奪われ「生きている意味がない」と感じる人たち。
自殺をされた方の話、消防団の方お話など、震災や原発事故のために心を傷め、今も苦しんでいる方々がいます。
原発事故当時、福島で発電された電気の90%以上は関東に送られていました。震災後も福島の電力を享受している私たちがこの問題から目を背けてはならない。原子力発電の危険性、処分困難な高レベル放射性廃棄物を生み出し続ける原発の再稼働や新建設は考え直すべきです。福島原発の廃炉作業がいつ終わるのかめども立たず、廃棄物の最終処分場も決まっておらず、若い世代やこれから生まれてくる子どもたち世代に課題を残してしまう。この未曾有の大事故を経験した私たちは、原発は人間がコントロールできないことを自覚し、原発に頼らない自然エネルギーに政策を転換すべきと考えます。今回の経験を共有する機会をつくり、参加を広げていきたい。